白銀の悪魔と緋色の騎士

満天の星空と夜の森

 降り頻る雪が世界を明るく浮き上がらせる。
 普段は鬱蒼とした暗い森も、降り積もる雪が青白い世界へと変える真冬。雪が音を吸収したかのように、シンとした静寂が当たりを満たす。
 そんな森の中を走る影が一つ。その影を追うように黒い獣数体が森を駆け抜ける。
 
「ほんっとしつこいな」
 
 真冬の雪深い森の中。
 気温も低い深夜。
 その中を軽装の少年は、背後に迫る獣から逃れるために疾走していた。冷たい空気が肺に痛い。獣から距離を取ろうと少年は振り返り火弾を発する。火弾は一直線に獣へと向かうが、簡単に躱されてしまった。
 
「これで逃げてくれたら良かったのに……」
 
 黒い獣が吠えた。その音に周囲の空気が揺れる。
 
 少年は鼻を赤くして白い息を吐きながら、木の幹を足場に飛び上がった。そして、さらに上にある木の枝へ飛び移る。羽織った薄手のマントがふわりと広がって、少年の身体を再び包む。黒い獣はしばらくの間、少年の乗る木の下を彷徨いていたが、しばらくすると諦めたのか木々の中に姿を消した。
 
「今夜は降りない方が賢明かな」
 
 腰のベルトに通した小型のバックからショールを取り出して肩に羽織ると、その枝に腰掛けた。木の幹に背中を預ける。
 
 ──あれから何日経ったのかな。
 
 追い出されるように越えた国境線。数日歩けば街道に出るから、それを伝って街へ向かえ。そう言われたのに、その街道に一向に出くわさない。
 
 魔の森は一旦入ると出られない。
 
 まことしやかに囁かれる噂だ。
 
 ──いやいや、さすがに出られないなんてことはないだろ。
 
 実際に街道へ出ろという指示ももらっているのだから。
 とは言え、夜に星を確認し森の端がある東へ向かっているはずなのに、一向にその端へ辿り着けずにいる。
 
 ──魔獣から逃げる時に、方向が分からなくなってるのかなぁ。
 
 国境線を越えてもう何度目の夜なのか。獣に追われ、魔獣にも追いかけられた。魔獣よりも厄介な魔物も遠くに確認した。
 少年は腰に掛けたポーチを探って、硬いクッキーを取り出した。携帯用の食べ物だ。一口大のそれを口に入れる。素材そのままの素朴な味が舌に広がる。噛んでも砕けないそれを、口内でゆっくりと溶かしながら味わった。
 
 ──いつまでこの森を彷徨えばいいのかな……。
 
 少年をこの森へ放った人から与えられた物は、空間拡張の魔法を付与されたポーチ、数日分の携帯食、逃げる為の服や簡易的な防寒着。魔力を貯めておく球体数個に、コイン型の転移魔道具。転移魔道具は転移先のマーキングが必要なものだから、今の彼には単なる使えないコインでしかなかった。
 
 少年は小さな球体を二個取り出すと、それを握って自分の魔力を移してく。もし魔力が足りないような状況に陥っても、これを使えば多少は魔力を回復できる。ってそんな状況が来ないに越したことはないのだけど。
 
 ──雪、やまないなぁ。
 
 しんしんと降る雪は静かに積もり、少年の足跡も消して行く。
 少しでも休んで体力と魔力と回復させないと。そう思っても寒さでなかなか寝付けなかった。
 
 その後も街道に辿り着けないまま、少年は森を彷徨った。
 
 ──あとどれくらい歩いたらいいんだ……。
 
 足取りは重く、休憩を挟みながら進む。一箇所に止まれば獣や魔獣が寄ってくるのだから、移動し続けるしかない。
 すでに左脚の感覚は消えていた。右足は辛うじて痛みを感じる。顔もマフラーで覆われている箇所以外は赤く変色し始めていた。手も指先は黒く変色している。
 
 ──ロイ……助けて……。
 
 脳裏に浮かぶのは幼馴染の顔ばかり。いつもそばにいて手を差し伸べてくれた紅髪の幼馴染。彼が側にいないのは分かっていても、少年はその手を求めるように言葉を漏らした。
 
 足が雪に取られて倒れるように転んだ。動かしにくくなった腕で身体を支えて、起き上がる。
 
 ──みんなは、何してるのかな……。
 
 つい最近まで、みんなで笑い合っていた。なのに今の状況と来たら……。どうして自分だけが国を追われるように逃げなくてはならないのか。逃がしてくれた事への感謝よりも、恨み言が脳裏をよぎった。
 
 ──あの人にまた会えたら、絶対に文句言ってやる。食べ物とか防寒具とか、もうちょっと気配りして! って。
 
 少年は左脚を引き摺りながらあゆみを進める。
 ゆっくりゆっくり、少年にとってはこれが精一杯。前屈みになり、浅い息を繰り返す。
 
 陽がゆっくりと姿を消して、辺りが闇を帯びてくる。
 
 ──夜行性の奴らが動き出す前に、隠匿の魔法をかけないと。
 
 とっくの昔に木に登る力は失っていた。
 詠唱せずに使えていた隠匿の魔法は、これだけ弱ってしまえば詠唱せずには使えない。
 少年は元気なうちに自分の魔力を貯めておいた球体を取り出して、力の入らなくなった手で握った。ガラスが割れるよりも澄んだ破裂音がして、少年の魔力がわずかに回復する。
 そして少年が凍えて震える声でなんとか詠唱し終えると、彼の頭上に魔法陣が現れた。魔法陣はゆっくりと降下して少年の身体を通過するとそのまま消えていった。
 
 少年は木の幹に寄りかかり、崩れるように座った。手には最後の非常食。それを少年はじっと見た。
 
 与えられた携帯食は数日分しかなかった。冬の森で食材調達は素人には難しい。そのため少年は初日から携帯用クッキーは一日一個と決めていたし、最近は三日に一個に留めておいた。
 
 最後の一個を、もう感覚も乏しい震える手で口へ運んだ。空腹は満たされない。身体は怠く、脚も手も動かせているのが不思議なほどだった。少年を構築する全てが悲鳴すら上げられなくなっていた。
 
 ──隠匿の魔法が効いているうちに少し寝ようか。
 
 残った魔力で身体の周りに空気の層を作る。ほんの少しだけ寒さが和らいだ。
 
 ──この森は僕が想像してる以上に広いのかなぁ。……そもそも魔の森って呼ばれてるくらいだから、入り込んだら出られない何かがあるのかも……。
 
 最後の携帯食であるクッキーを食べて数日が経った。
 
 森の中に突然現れた開けた場所に少年はいた。切り株に腰を下ろし、満天の星空を眺めていた。
 満天の星空に吐く白い息が重なって、少年には幻想的な夜空に思えた。
 
 手脚の感覚はとうになくなっていた。
 
 少年の顔がゆっくりと下を向き、身体がゆらりと……切り株から落ちた。
 雪に半ば埋まった頬が、微かに冷たさを伝えてくる。少年の霞む視界に、月明かりを浴びて小さく輝く薄青い雪が映った。綺麗だな……そう少年は呟いたが、声は出なかった。
 
 もう身体は動かない。寒さも痛みも無くなって来た。魔力も底が尽きたようで、意識が飛びそうになる。
 
 ──大丈夫、まだ大丈夫。少し寝たら回復する。以前魔力切れを起こした時も寝たら回復したじゃないか。今回も同じだよ。寝れば大丈夫。ほんの少しだけ、ほんのちょっとだけ寝るから……そしたら、また歩くから……言われた通り街道に出て街へ行って、そこにあるグラン・デ・スルバランというお店に……ローゼンさんから預かった手紙を渡して……それ……から……。
 
 重い瞼に逆らえず、視界は閉ざされた。瞼の裏に懐かしい孤児院の部屋が浮かぶ。同居人のロイがベッドに座って剣の手入れをしている。
 
 雪に埋もれて少年は微笑んでいた。
 
 少年が最後に見たロイの姿は、彼の背中だった。二人は出会ってから九年間、ずっと一緒だった。離れたことなんてほとんどなかった。
 
 ──大好きな僕の親友。君の為に魔術の勉強をしてたのに、君のサポートをするのは僕だって言ってたのに、ごめんね。君は仕方ないなって笑いながら、こんな僕を許してくれるんだろうね。……君に会いたい。会いたいよ。
 
 冷え切った頬を温かいものが伝う。が、それも次の瞬間、冷たく頬に張り付いていく。
 
 ──少し休んだら、また……歩くから。……僕、頑張る……から……、だか、ら……ロイ……
 
 
 
     ***
 
 
 
「おい、誰か倒れてるぞ」
「はぁ? 魔獣や魔物の出る森だよ。しかも真冬! どこのバカだよ」
 
 三人が少年のもとへ駆け寄った。
 
「まだ息はある。おい、リオン、診てくれ。ルカは帰還の準備だ。急げよ」
 
 壮年の男性が青年と少年へ支持を出しながら、倒れている少年の容態を伺う。リオンと呼ばれた青年が倒れている少年の上に手を翳し、詠唱を唱え始めた。青年の手と横たわる少年の間に魔法陣が浮かび、癒しの光が少年へと降り注ぐ。
 
「どうだ?」
「魔力切れと凍傷、衰弱も激しい。持って今日いっぱいってところですかね」
「そうか、ならなんとかなるな。ルカ! もっと急げ!」
「やってるよ!」
 
 息も切れ切れで横たわる少年の目が微かに動いた。
 
「お! まだ動かせる気力があるのか。おい! 安心しろ。もう大丈夫だからな」
「ボス、転移陣設置完了」
「ちゃんと医療区街区にしただろうな」
「僕を誰だと思ってんの? それくらいやってるよ」
 
 雪の上にうっすらと魔法陣が浮かび上がる。ボスと呼ばれた男は自分のコートで少年を包むと、抱き上げて魔法陣の中へ入った。
 
「発動するよ」
「おう、頼む」
「医療区街区メディウスへ……転移!」
 
 光が四人を包み込む。そのまま光は魔法陣に吸い込まれ、後には静寂だけが残された。

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