僕らの家へ。
雪と寒さのせいで、手脚の感覚はとうの昔に消えてしまっていた。
追っ手を避けて街道から樹海へ入り込んではや数日。途中から数えなくなったから、もう何日目なのかも分からない。
僕たちは今、唸り声を上げて迫ってくる四つ足の魔獣と対峙していた。
子ども5人を大岩を背に立たせて、彼らを包むように防御結界を張った。僕はまだ自分も含めた防御結界を張れないから、必然的に結界の外になってしまう。
結界に触れてないと維持すらも出来ない。こんな状況になって初めて自分の未熟さを思い知らされる。
「ロイがいてくれたら……」
ロイは今どこにいるのかな?
無事に逃げ切れたかな?
身の毛もよだつ咆哮が真夜中の空気を支配した。
四つ足の魔獣が生臭い息を吐き涎を撒き散らしながら飛びかかってくる。
結界の中で子どもたちが悲鳴をあげた。
「来るな、こっちに来るなぁぁ!」
魔獣を倒せるなら何でもいい。
これまでに学んだ魔術を魔獣に向けて叩き込んだ。
何を放ったのかもわからなかった。
火? 水?
とにかく魔獣が後退ったのだけが救いだった。
いつまでこんなことを続ければいいの?
寒さと魔力不足で身体が重い。
ロイ、どこにいるの?
僕だけでこの子たちを守り抜ける?
また魔獣が迫って来た。
獲物を狙う赤い目が暗い樹海に幾つも浮かんでいる。
魔獣の吐く息が冷たい空気に白く靡いていた。
聖騎士から逃れるために、樹海の奥へ逃げ込んだのは無謀だった?
あのまま騎士に捕まればよかった?
マスターは子どもたちを連れて逃げろと言った。
相棒のロイは追って来た騎士を巻くために、単身囮を買って出た。
だから、僕は子どもたちを護って逃げ切らないと。
行けと言われた場所へ行かないと。
なのに元いた街道の方向すらわからない。
ああ、もう! 頭がクラクラする。
魔獣もうるさい。勝ち誇ったような咆哮も、攻撃もうんざりだ。
樹海に入ってから何食べたっけ?
雪と木の皮……それから数粒の飴。
そりゃ限界も来るわけだ。
だけどね、それでもね、頑張らないと。
結界の中の子どもたちが不安そうに僕と魔獣へ目を向けている。
笑え。僕は平気だよって。
笑みを絶やすな。最後まで護りきれ。
「フィア、フィア!」
そんな顔をしないで。僕なら大丈夫だから。
「もういいから!」
「ふぃぁ」
ロイと約束したんだ。君たちを無事に届けるって。
「キャァァァァァ!!」
あれ? なんで身体が傾いて……? ああ、右足、喰われたのか。
「フィア、もう辞めて!」
何を言ってるの? 今辞めたら、君たちは魔獣に食べられちゃうよ。
「うわぁぁぁぁん」
泣かないで。
あ……、ほら上を見て。
真冬の澄んだ高い夜空が広がっている。落ちてくる雪も空気も凛として綺麗だよ。
ここは樹海の中なのに、この一帯だけ樹木が天を覆っていない……って……ああ、これは魔獣の見せる嘘の空か……。
「フィア、もういい。なぁ、頼むから、辞めてくれ」
結界越しに重ねられた僕よりも小さな手は、凍傷で色が変わってしまっていた。
ごめんね。僕がもっとちゃんとしてたら、君たちにこんなこと起こらなかったのに。
「フィア! やだ! やだぁぁ」
大丈夫。感覚の残ってる右手と頭、それから心臓には防御魔法をかけてある。最後まで結界は維持できるから。
だから、ほらそんな顔をしないで。
「ぼく、ちゃんと言うこときくから。歩きたくないとか言わない。おいしくないとか言わない。だから、だから……」
……痛っ!
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
やばい、腹喰われた。内臓が……。
勢いよく胃が引きずり下される感覚に、息が詰まる。
顔面蒼白になった子どもと目が合った。
ああ、子どもたちが余計に不安がっちゃう。笑え、笑え。
でも……目が霞んできた。クラクラする。
「フィア!」
あれ……僕、倒れてるの? ……ダメだ、身体がもう動かない。
目の映るのは、子どもたちの血の気を失った顔。
ごめんね。護れなくてごめんね。
神様、もう少しだけ僕に時間をください。この子たちを護るだけの時間を。
それが無理なら、僕の魔力が尽きたら発動する術式を作るだけの時間をください。
「何やってんだよ! フィア!」
これでよし。
あとは、僕が出来るだけ長く……。
ロイ、ごめん。僕、これ以上頑張れないみたい。最後にもう一度君に会いたかったなぁ。
なぜかな……痛みも消えてしまった。なんだかすごく眠い……。
遠くで何かが爆ぜるような音がした。
僕に群がっていた魔獣が一斉に首を挙げた。
また爆音が響く。
それに混じって誰かを探しているような声も聞こえて来た。
誰か、近くにいる? ここに僕たちがいるって知らせられたら……知らせ、なきゃ……。でも……もう、意識を、たもて……な、い…………。
空気が揺れた。
剣を振る音、肉が裂ける音。魔獣の焼ける生臭い匂いが立ち込める。
魔法を放ちながら駆け寄ってくる人影が見えた。
……綺麗。まるで花火みたい。
「あ……あれは――」
不安と恐怖でいっぱいだった子どもたちの声に、希望の色が混じって聞こえる。
「フィア、マスターだ。マスターがきたよ!」
マスター?
「すごい……魔獣がどんどん倒されてる」
雪を踏みつけ駆けてくる足音が幾つも聞こえた。
不意に身体が持ち上がって、見知った腕に抱かれた。
「やっと見つけたぞ。よく頑張ったな。もう大丈夫だから、結界を解け」
マスター……。
………ああ、よかった。護りきれたんだ。よかった……。
「みんなもう大丈夫だ」
知らない人の声も聞こえた。子どもたちの泣き声も。
「マ、マスター、僕……」
腰に生暖かい何かが流れた。
「喋るな」
「ロイ……は?」
「捜索中だ。何日もよく頑張ったな。とにかく今は休め」
暖かい魔力が注がれて、僕は誘われるまま眠りに落ちて行った。
ロイ、僕頑張ったよ。早く会いたいな。